江戸時代、江戸と京都を結んだ中山道。長野県内では軽井沢から和田峠を越え木曽へと続いていました。宿場町の一つ、下諏訪宿から発見された古文書から食事を再現しようというプロジェクトが始まっています。

江戸時代の旧中山道、29番目の宿場で甲州街道が合流する下諏訪宿。参勤交代の大名や幕府の役人などが泊まる宿が「本陣」です。


下諏訪宿の本陣だった岩波家。江戸時代の建物や庭園が今もそのまま残っています。

岩波家28代目の当主が、岩波太左衛門尚宏さんです。

岩波さん:「こちらが引き継いだものです。これをひろげると向こうまで行きますが、1809年に伊能忠敬が当家にお休みになられた時の献立でございます」

江戸時代に日本中を歩いて地図を作り上げた伊能忠敬。1809年、伊能測量隊は諏訪湖周辺の測量にやってきました。伊能は武士ではありませんでしたが、幕府御用の役割を担い本陣に泊まりました。

献立表はその時の食事について諏訪の藩主に伝えたものと言われています。


和食文化の研究をしてきた大久保洋子さんは下諏訪宿は当時にぎやかなところだったと話します。

大久保洋子さん:「京都や江戸ではないけれど、ポイント(となる宿場)で文化が進んでいた。接待して食事をださなきゃいけないようなところは情報がすごく入っています」