――そう振り返る彼の目は、今でも当時の熱を帯びています。

上京からわずか1週間で面接へ。
東京ディズニーリゾートのキャストとして働き始めました。

ゲストを迎える笑顔、細やかな気配り、そして“魔法”のような空間づくり。
ここでの日々は、彼にとってまさに生きた教科書でした。
「エンターテインメントとは何か?」を学び、「ホスピタリティ」という言葉の意味を、頭ではなく心で理解したのもこの時期だといいます。

今の彼のアナウンサーとして大切にしている姿勢「思いやり」や「おもてなし」の価値観はこの頃に根づいていったのではないかと感じさせられました。

大学生活のもうひとつの柱となったのが、「社交ダンス」でした。


入学してすぐ、駒澤大学競技ダンス部の門を叩きました。
彼は、なぜ伝統的で格式ある社交ダンスを選んだのか?

「チャラチャラしていると思われがちな大学生が、いきなり優雅に踊り出す――そのギャップが面白かったんです」と笑う。

また、若いうちからトラディショナルな要素を自分の表現に取り入れれば、将来のキャラクターづくりにも役立つと考えたそうです。

ダンス部での4年間は、決して楽な道ではありませんでした。週6での基礎練習、振り付けの研究、ペアとの呼吸合わせ。試行錯誤が続き、足や腰に痛みを抱えながらステージに立つこともあったと話します。

そして4年生の時、学生全国大会ルンバの部門で優勝しました。
優勝したことはもちろん嬉しかったが、それだけではなかったと言います。

UTY 安福太郎アナウンサー:
「誰よりも密度の濃い学生生活、没頭する時間を過ごすことができたことに、至福の思いが体中を駆け巡っていましたね」