誤訳された「健全な精神は健全な肉体に宿る」
高野連のホームページを見てみたら、戦後すぐに野球が復活した時に、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という理念のもとに、みんなで野球をやりましょうとか書いてあるんですよ。
ところが、私の考えでは、この「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は「翻訳の間違い」です。そもそも、今そんなこと言ったら叱られますよ。私も怒ります。「そんな言い方ないだろう」と。
健全な精神は健全な肉体と関係なく、やっぱり磨かなければいけないし、健全な肉体が欲しいならば「自由で健康的な肉体」と言うべきだと私は考えます。
そのあたりの高野連の認識が「鈍すぎる」。だから暴力事件が何度も何度も続くんです。その学校の監督とか部長さんが、本当に暴力はいけないという理由がわかっているのかどうかも疑問です。
要するに「暴力はいけないんだけれども、スポーツならばもっといけないんだと、自分たちのやるスポーツを否定することになるんだ」ということを、もう一度勉強し直してほしいと思います。
転校選手の出場禁止ルールが示す高野連の課題
今回、広陵高校で被害を受けた人は既に転校したらしいんですが、転校したら「1年間は出場禁止」なんですよ。これ、高野連のルールで決まっています。なぜだと思いますか?
もし他校に移ってすぐに出られるようにすれば、系列校が選手のやり取りをするというんです。要するに、余っている選手を系列の学校にわざと出して、まるでプロがトレードされるような感じですよね。
こんなルールを決めている高野連が、暴力はなぜいけないかということすら喋れないということ、それに方針の中にファイティングスピリットを入れているということを、やっぱりもう一度考え直してほしいと強く訴えたいです。