戦後80年プロジェクト、「つなぐ、つながる」です。戦争の体験者が減り続けている中、戦争の実情を伝えるものの一つが戦争遺物です。80年の年月を経て劣化が進む中、最先端の技術で戦争の実情を伝えようという取り組みが進んでいます。

沖縄本島北部の古宇利島沖、水深40メートルを超える海底に横たわる巨大な船。1945年4月6日、日本軍機の特攻を受けて航行不能となったアメリカの軍艦「エモンズ」です。

九州大学の菅浩伸教授は全長100メートルを超えるエモンズを調査しました。

九州大学 菅浩伸 教授
「多数の写真を撮って、それを組み合わせて3Dを作る」

菅教授は2015年に撮影した1820枚の写真でエモンズの3Dモデルを作成しました。

菅浩伸 教授
「日本の特攻機はどちらから入ってきて、エモンズがどう逃げようとしていたのか行動が分かってきた」

エモンズの砲門は水面方向を向いていて、特攻機は高度な飛行技術が必要とされる水面すれすれを飛んで突入したとみられます。

飛行機のエンジンや車輪も確認。特攻機は陸軍の九八式直接協同偵察機だと分かりました。

菅浩伸 教授
「当時の状況は非常によく分かってきた。どうしてエモンズに見事な形で突入していけたのか」

エモンズが攻撃を受けた1945年4月6日に飛び立った特攻機はおよそ300機。その中で九八式直接協同偵察機は、宮崎県の基地を飛び立った「誠飛行隊」だけで、アメリカ軍はその姿を撮影していました。

福岡県にあった大刀洗陸軍飛行学校で教えていた教官と助教で編成された特攻隊です。

菅浩伸 教授
「1機目が船尾を攻撃して、2機目3機目が両方から艦橋を攻撃。こんなことができる優秀なパイロットだった。もう教官隊しかあり得ない」

教官たちによる特攻隊が編成されたのは、特攻が重視されて教育期間が短縮され、高度な飛行技術を教える必要がなくなっていったからです。

大刀洗平和記念館 藤上利美さん
「基礎教育に重きを置くよりも、特攻の訓練が多くなされていた」

教官による特攻という戦争の実像が3Dモデルでより鮮明に見えてきたのです。

九州大学のグループが3Dモデル用の写真を撮影してから10年。船首付近の穴は拡大し、船の後ろ側の砲塔は崩れ落ちるなど劣化が進んでいます。

菅浩伸 教授
「証言をしていただける方が少なくなって、物が語っていく時代になっていく。ただ、その物もだんだん劣化していく。それを忠実に残したモデルを使って語り継いでいく時代になってくる」