戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。戦時中のアメリカで行われた日系人の強制収容。今年、その収容所の跡地に野球場が作られ、試合が行われました。歴史を語り継ぐ戦後80年のプレーボールです。

荒れ地に野球のベースを埋め込む男性。日系人のダン・クワンさん(70)。一面の荒野に「野球場」を作っていました。

ここはカリフォルニア州マンザナー。第二次大戦中、1万人を超える日系人が強制収容された場所です。

アメリカ政府は日本との開戦後、「潜在的な危険がある」として、あわせて11万人余りを10か所の収容所に隔離しました。

ダン・クワンさん(70)
「強制収容所で人々は『お前は本当のアメリカ人じゃない』『アメリカ人の顔ではないからだ』と言われてきたんです」

粗末なバラック、砂嵐や氷点下の過酷な収容生活の中、日系人の心の拠り所だったのがベースボール・野球でした。マンザナーだけで100以上のチームが作られ、活動した記録も残っています。

母親がここに収容されていたダンさん。戦後80年という節目の今年、歴史を風化させないために野球大会を開こうと、2年がかりで野球場を再建したのです。

自宅には、大会のために用意したたくさんのユニフォームが。

ダン・クワンさん(70)
「ベースボールは収容された人々にとって『普通の生活』を感じられる唯一の時でした。自分たちがアメリカ国民である自覚が芽生えるんです」

今月1日、野球場に収容された日系人の子孫やボランティアが集まりました。

80年目のプレーボール。しかし、あのユニフォームは着ていません。

トランプ政権と野党の対立で予算が成立せず、政府機関の閉鎖が続いたため、大会は中止に。それでも節目の今年、野球だけはどうしてもやろうと練習試合を行ったのです。

ダン・クワンさん(70)
「マンザナーでのプロジェクトは『国家が犯した間違い』を教えてくれます。先人の希望を引き継いでいきたいです」

アメリカの日系人にも暗い影を落とした戦争。収容所跡に復活した野球場は、その不条理と闘った人々の歴史を今に伝えています。