代表入りに追い込まれたところから

近年の瀬古は、記録は2m24~27で安定していたが、日本選手権など勝負どころで弱さを露呈していた。今年も7月の日本選手権では5位タイ、記録は2m15だった。優勝したのは22年オレゴン世界陸上8位入賞の真野友博(28、九電工)。2位が23年ブダペスト世界陸上8位入賞の赤松諒一(30、SEIBU PRINCE)。3位が今年の世界室内選手権7位入賞の長谷川直人(28、新潟アルビレックスRC)だった。日本選手権終了時点で標準記録突破者がいなかったため、代表内定者が出なかった種目だが、この3人はRoad to Tokyo 2025(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)が10位台。36人の出場枠内に入るのは間違いなかった。

逆転で代表入りするには、Road to Tokyo 2025の世界ランキングではなく、標準記録を跳ぶ必要があったが、2m33は標準記録適用期間に入った昨年8月以降、世界で8人しか跳んでいないほど高いレベル。瀬古もRoad to Tokyo 2025の30位相当と、出場圏内につけていたが、4人以上出場失格を得た場合は日本選手権の上の順位から代表入りする。世界陸上代表選考においても、瀬古は窮地に追い込まれていた。

瀬古は自身の競技人生でも挫折の連続だったという。福間コーチは「彼は高校時代のインターハイも、近畿大会7位で出場していません。大学ではインカレで入賞していますが、大きな大会の優勝がほとんどありませんでした」と指摘する。「成功体験の少なかったことで、代表選出がかかったときや、ここで記録をいくつ跳ばないといけない、という時に心のパワーが弱いのかな、と感じていました」

日本選手権は昨年も7位、23年も5位、22年は最初の高さが跳べず記録なし。瀬古は「何度も心が折れました」と言う。「23年のブダペスト世界陸上が、世界ランキングでは出場圏内に入っているのに日本選手権がダメでしたし、昨年のパリ五輪もです。今年の日本選手権もです。でも、諦めたらそこで終わりじゃないですか。これまで順風満帆じゃなくてもここまでやってこられました。勝つまでやめなければできるんじゃないか、って」

2m20くらいの高さでは、バーのかなり上の高さを跳んでいることが多かった。しかしそれ以上の高さにバーが上がると、跳躍が崩れてしまう。「噛み合わなかったモヤモヤが、ずっとありました」。瀬古は滋賀県を拠点としていたが(現在は滋賀県スポーツ協会勤務)、その思いが大きくなり23年の夏から、神奈川県で“福間JUMP道場”を開いている福間氏のもとで主に技術面の指導を受け始めた。