2025年8月15日は、終戦80年です。
7月に戦前・戦中の仙台の様子について知る街歩きイベントが開催されました。「当時のことを学びたい」と参加したのは、戦争の記憶は、ほとんどないという80代の女性たち。幼い頃、彼女たちが見てきたのは、空襲を受け焼野原になった仙台が復興していく姿でした。
終戦から80年。平和の尊さを考えます。

7月に仙台の中心部を巡る街歩きイベントが開催され、約20人が集いました。

仙台・空襲研究会 斎藤広通さん:
「ここも空襲の被害を受けまして。定禅寺通りには、ここには、定禅寺というお寺が明治まであったんですが、そのあとに病院ができるんですけども」

ガイドを務めるのは、仙台・空襲研究会のメンバーで、一級建築士の斎藤広通さんです。

県庁の南側、現在の勾当台公園のあたりには、陸軍病院がありましたが、仙台空襲で焼失しました。

仙台・空襲研究会 斎藤広通さん:
「その病院の中に桜があったんです。定禅寺桜という桜で、お花見のときには解放されていたが、それも焼失してしまった」

この街歩きに参加した、東北工業大学名誉教授の庄子晃子さん(82)。
終戦から80年という時の流れにある思いを持っています。

庄子晃子さん:
「実は私は80歳を越しているので、自分の生涯と(戦後の)仙台の歴史が大体合っている。自分の人生と重ね合わせて、仙台の歴史を学びなおしたい」

一行は、仙台空襲で焼け残った旧志ら梅酒造の石蔵など、当時の様子をいまに伝える貴重な建物を見て回りました。

旧志ら梅酒造の石蔵所有者 吉岡秀祐さん:
「焼夷弾が真上から落ちて屋根を突き破ったということは聞いています。中にあった可燃物は全部燃え落ちた」

庄子晃子さん:
「親から子、子から孫と伝えていくことが大切だと思う。一緒に歩く、一緒に見る、一緒に考えるということが大事だと思う」

庄子さんとともに参加した友人の加藤幸子さん、斎藤ゆかりさんも「戦争について知らないことがまだまだある」と感じていました。

斎藤ゆかりさん:
「知らないことがたくさんあったということに、この年になって気づきました」