終戦の前日に海軍の兵器などをつくっていた工場で空襲に遭った犠牲者を追悼する式典が14日、山口県光市でありました。
遺族らおよそ50人が集まり空襲があったとされる午後0時20分に合わせ、黙とうをささげました。
80年前の8月14日、アメリカ軍から兵器などをつくっていた海軍工しょうが空襲を受けました。
学徒動員の生徒など738人と市民10人の命が失われました。
式では遺族や市内の高校生らが花を手向け、悲劇を繰り返さないことを誓いました。
広島から(海軍工しょうへの空襲で義父を亡くした)
「いまだに戦争が続いているから、この地球上で終戦ってなんだったんだろうと最近思うんですね。悲しいなあと思います」
高校3年生
「私も平和の世界、平和の世の中になるために何かできることがあればしていきたいなと改めて思いました」
追悼式は、恒久的な平和につながればという思いも込められ、毎年続けられています。
また、山口市の中村学園高校でも光市の海軍工しょうへの空襲で犠牲になった生徒を悼み、慰霊碑に祈りがささげられました。
同窓叢咲会 河上桂子 会長
「一瞬にして33名の尊い命が奪われるという、筆舌に尽くしがたい、あまりにも無残で痛ましい出来事により犠牲となられました」
山口中村学園高校の一角にある「純真の碑」に同級生や現在の生徒およそ40人が花を手向けました。
終戦の前日である80年前の1945年8月14日、当時の中村高等女学校の生徒は学徒動員先の光市にある海軍工しょうで空襲に遭い33人が犠牲となりました。
動員されていた生徒は高齢化が進み、今年参列したのは1人でした。
当時16歳だった杉村純子さんは夜勤で被害に遭わなかったと話します。
杉村純子さん
「友達のことを思うと胸が詰まりますよ。勉強しよって一緒に働きに行って、そして帰ってこなかったですからね。戦争だけはやってほしくないですね」
参列者は慰霊碑に向かって、静かに手を合わせていました。