わずか5分の謁見で交わした会話

1948年当時、アメリカのマスコミ各社から昭和天皇に対する取材依頼が殺到、特に私生活の写真を撮りたいという要請に対し陛下が悩まれているという情報がGHQのもとに入りました。タガミさんは、マッカーサーに指示され「あるメッセージ」を伝えるため1人皇居へ向かいました。

部屋に通され席に着くと、2分ほどして扉が開き昭和天皇が入られたといいます。侍従を伴わない1対1の異例の対面でした。マッカーサーがタガミさんに託した伝言は「陛下のプライバシーは守られている。取材に無理に応じる必要はない」というものでした。当時について語る貴重なインタビュー動画があります。

カン・タガミさん(1999年)
「マッカーサーは、陛下のプライバシーを心配しています。陛下には他の日本国民と同様にプライバシーがあり守られていますとお伝えました。すると陛下はリラックスした様子になりこう話したのです。タガミ中尉のお父さんお母さんは日本人ですかと。そうです、広島ですと答えると、二世は今の日本には大切な存在です。日本とアメリカの橋渡し、今後もよろしくお願いしますと話されたのです」

わずか5分ほどの非公式の対面でしたが「今でも信じられない」とタガミさんは当時を振り返っています。陛下の身を案じていたマッカーサーは、昭和天皇の人柄に好意を抱いていたと言われています。

ドキュメンタリー写真家・宍戸清孝さん:
「終戦直後の会談で昭和天皇はマッカーサーに『戦争の責任をとりたい』と申し出たそうです、それに対しマッカーサーは『それには及びません』と答えた。みんな逃げるのに、陛下の潔さに感銘し讃えていたと聞いています」

昭和天皇との謁見を果たした唯一の日系二世の元兵士カン・タガミさん。アメリカ陸軍に所属していましたが、日本人の心を持っていたと宍戸さんは語ります。

ドキュメンタリー写真家・宍戸清孝さん:
「日本の侍のような威厳のある方でした。なかなか見られなくなった今の日本では」