第二次世界大戦では、日本にルーツを持ち「日系二世」と呼ばれた若者たちがアメリカ兵とし戦地に赴きました。さらに、日本語と英語に精通していた二世兵士たちは戦後、GHQの統治下に置かれた日本で通訳として重要な役割を果たしました。中にはマッカーサーの専属通訳を務め、昭和天皇との謁見を許された二世兵士もいます。陛下からかけられた言葉とは。

埼玉県川越市で8月13日から17日まで、終戦80年に合わせて写真展が開かれました。「日系アメリカ人二世兵士写真展」です。会場には、仙台市在住のドキュメンタリー写真家、宍戸清孝さん(71)が撮影してきた作品の中から23点が展示されました。宍戸さんは、日系二世のアメリカ兵たちの境遇に強く惹かれ、その半生をかけ撮影と取材を続けてきました。

ドキュメンタリー写真家・宍戸清孝さん:
「アメリカで生まれた日系二世たちは(戦時中)日本のスパイだと言われ差別の言葉を投げかけられた。アメリカ人として生まれた自分たちを証明しようと(アメリカ兵として)戦争に向かっていった」

明治から大正にかけて、貧困にあえぐ多くの日本人が、仕事を求めアメリカ西海岸やハワイに移り住みました。日系一世です。そして、日系一世の両親のもとアメリカで生まれたのが日系二世たちでした。

1941年12月7日(現地時間)真珠湾攻撃で日米が戦争に突入すると、アメリカの日系人たちは「日本にルーツがある」という理由だけで砂漠地帯の収容所に入れられるなど差別の対象となりました。日系二世の若者たちは汚名を晴らし忠誠心を示すため、アメリカ兵として戦地に向かったと言われています。