この時、石丸さんの父は出征中で不在。母と姉、弟が集団自決で亡くなりました。
石丸美知子さん:
「別の建物に隠れていたら中国の人が食べ物と水を届けてくれた」
その中国人が石丸さんの養父母となり大切に育てられましたが、石丸さんは終戦から40年近く経った1980年代まで祖国・日本の地を踏むことができませんでした。
石丸美知子さん:
「自分の名前、家族のこともわからなかった」

石丸さんは中国残留孤児として1988年に帰国。悲しみは今も癒えることはありません。
石丸美知子さん:
「戦争で私の人生は変わってしまった。何の罪もない民間人が犠牲になる。もう戦争はしてはいけない」