偶然 近所の人に見つけられ救護所で治療を受け、担架に乗せられて家にたどり着いたといいます。
遠山睦子さん:
「身体中やけどをしているから身体中が火照って、水を欲しがったけれど水を飲ますと早く弱るからと母は真面目に水をあげなかった」
「明け方、全身が腫れあがっている。缶詰(のモモ)を押し込んだら『おいしい』って言ったと」
原爆投下の翌日に息を引き取りました。12歳でした。
遠山睦子さん:
「8月7日が命日」

この原爆で浩行さんと同じ現場にいた1年生と教員320人余りが死亡。
その場所には慰霊碑が立てられ、浩行さんを含む同級生らの名前が刻まれています。