地元文芸誌に寄せられた直江津空襲・黒井の被爆には、こう書かれていました。

「龍策(りゅうさく)さんはわが子の傷病の身をいたわって、隠れるようにして農耕に出かけて行ったのである」(文芸たかだ第127号 小林勉「黒井の被爆・昭和20年5月5日」より)

龍策さんは当時56歳。戦争で足を負傷し、自宅で療養していた息子の龍吉さんに代わって、農作業をしている時に空襲に遭ったそうです。

亡くなった龍策さんの孫・信幸さんは、父の龍吉さんが足の傷で苦しみ続ける姿を見ていました。

龍吉さんの息子・信幸さん
「どういうふうにしてなったのか言わない。破片なのか、砕けた骨が出てくるのか知らんけど、ばか痛いみたいだね。死ぬまで」

戦地で負った傷のことは家族にもほとんど語らなかったという父・龍吉さんですが、直江津空襲で父親が亡くなった時のことについて、1991年にこう語っていました。