手作業で手すりや橋などを設置「本当に感謝しかない」

上野村で生まれ育った黒澤さんは2006年、村からの依頼で二代目の管理人に就任しました。
黒澤完一さん
「軽い気持ちだった。行っても行かなくてもいいような気持ちだった」
しかし、山で遺族と接するうちに気持ちに変化が。
黒澤完一さん
「ちょっと私のとこ寄ってね、いろいろ昔話したりなんかしててね。お昼食べながら色々話をして2時間ぐらい休んでた。それから遺族からね、『手伝ってもらって、道が良くなった、歩き良くなった』とかね、遺族のそういう声も聞こえたしね」
事故から何年経っても、御巣鷹の尾根に登り、墓標に手を合わせにくる遺族。
少しでも上りやすいようにと、山の整備に力を入れるようになりました。

この日は、古くなった慰霊碑へと続く木製の階段を手作業で新しいものに取り換えていました。
黒澤完一さん
「私が登れる道幅のね、勾配、角度。そういうのは自分で考えてね、作ってるわけ。私が登れたら皆さん登れる。私が大変だったらみなさんも大変よ」
重機が入ることができない御巣鷹の尾根。黒澤さんは、慰霊に訪れる遺族が登りやすいよう、手作業で資材を運んでは一段一段、階段をつくり、手すりや橋などを設置してきました。
遺族は、「黒澤さんのおかげで年を追うごとに安心して慰霊登山ができるようになった」と話します。

事故で父を亡くした 島本喜照さん
「僕の所(墓標)はC4っていう所なんですけれど、すごく激しい険しいところなんですね。道なき道を登って行かないと現場にたどり着けませんので、その山道をつくってくれておりました、転倒しないようにとか。もう本当に感謝しかないです」
黒澤さんは花を供えやすいよう、水くみ場も作りました。
御巣鷹の尾根 管理人 黒澤完一さん
「皆さんお参りきて、静かにお参りして帰っていただく、それでいいの、それが一番いいの」

標高1500mを超える山での作業は決してラクではありません。黒澤さん自身も高齢になり、体力的な負担は大きくなっています。それでも山の整備を続けます。














