8月6日は原爆の日。広島カープの歴史は原爆からの復興の歴史と重なります。あらためておさらいしたいと思います。
カープ球団の創設は被爆から5年後の1950年。原爆被害から立ち上がろうとする広島の人々にとって希望の存在でした。

親会社もなく資金力に乏しいカープを当時の人々は樽募金で支えました。募金する県民市民も貧しさの中にありました。自身とカープを重ね合わせ、郷土のチームを応援したのです。
被爆から12年。地元経済界の後押しでナイター設備のある広島市民球場が完成しました。


長らく低迷したカープが悲願の初優勝を遂げたのは被爆30年の1975年。いまから50年前です。

県民、市民とカープの関係がよく伝わってくるのが初優勝を祝うパレードです。平和大通りで催された優勝パレードにはおよそ30万人がつめかけたといいます。

集まった人からは「ありがとう」という言葉が発せられ優勝を見届けることなく亡くなった先人の遺影を掲げる人もいました。

原爆からの復興とカープ。カープはほかのどのプロスポーツチームとも違う特殊な成り立ちを持ち今日に至っています。