広島に原爆が投下されてから6日で80年。
広島市では式典が行われたほか、愛媛でも各地で平和への祈りが捧げられました。
広島市の平和記念公園では、午前8時から石破総理などおよそ5万5000人が参列して平和記念式典が行われました。
そして、原爆が投下された8時15分を迎えると平和の鐘が鳴らされ、参列者らが黙とうを捧げました。
1945年8月6日、アメリカ軍の爆撃機・B29が投下した原子爆弾。犠牲者はおよそ14万人に上り、80年経った今も多くの人が、後遺症に苦しめられています。
松山市堀江町に住む田中英子さんは当時7歳、爆心地ちかくの自宅で被爆し、吹き飛んだガラスで顔に大きな傷を負いました。
田中英子さん
「ここ(頬)がスースーするし凄く違和感があるそして手を突っ込んだら突き抜けて、あっ…と思ってそしたら大きな穴が(空いていた)。学んでほしいなぜ戦争になったか。なぜ原爆が落ちたか。なぜ広島だったか」
――
市内の寺院「龍仙院」に鎮座する7体の仏像。
広島で被爆したものだといいます。
今年、18年ぶりに供養祭が営まれました。
7体の中に爆風で黒く焼け焦げた跡が残っている地蔵がいました。
「おこりじぞう」です。
初代住職の義理の母が爆心地から2キロほど離れた場所で頭のない地蔵を発見し、新たな頭を据えると怒った表情に見えたためその名が付きました。
龍仙院 鳥越乗聖 副住職
「(戦争で)いろいろな人が大変な思いをしたということを実際に被爆した地蔵を見て感じてもらえればと思います」
6日は供養祭のあと「おこりじぞう」をモチーフとした紙芝居の読み聞かせも行われ、訪れた人は当時に思いを馳せていました。
小学2年生
「戦争は良くないと思いました。苦しむ人がいるから」
小学3年生
「戦争のない平和な世界がいいと思いました」
寺では来年以降も8月6日に合わせて供養祭を行い、平和への思いを後世に繋いでいくということです。
――
宇和島市内でも地元の宇和島ライオンズクラブが式典を行いました。
式典にはおよそ20人が出席し、黙とうをささげた後、平和の塔に花を手向け、核廃絶と平和を願っていました。
宇和島ライオンズクラブは2005年に福岡県八女市星野村から分けてもらった「原爆の残り火」を灯してきましたが、管理上の理由などで終了した後も式典を続けています。
宇和島ライオンズクラブ 広沢初志 会長
「残念ながら色々な事情で火は消しましたが我々の心の中に、核兵器を根絶すること、平和を願うことについてずっと思い続け宇和島ライオンズクラブの活動の柱にしていきたい」
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