今年で戦後80年、イブニングニュースでは様々な戦争証言をお伝えしています。今回は、戦地に赴いた父親から家族に届いたはがきです。そこには、妻と子どもへの思いと「普通」の日常への願いが綴られていました。

あなたと生活できたことがありがたい 20枚に綴られた愛

(手紙を持ってくる玉野義文さん【画像①】)
(松村みなみ記者)「あ、すごい」
(玉野義文さん)
「私の父が私の母へ呉とかに帰港した時に出したようです。20枚ぐらいあるんじゃろうかね」

【画像①】

備前市に住む玉野義文さん(86)です。戦時中、父親の義郎さんから母親の千鶴子さんに送られた24枚のはがき。細かい文字がびっしりと刻まれていました【画像②】。

【画像②】

(玉野義文さん)
「残された妻と子どもが気になっていたんじゃないかと思います。思いがぐっと来ますね」

玉野さんの父親・義郎さんは神戸市の警察官でした。1936年に千鶴子さんと結婚。3年後には玉野さんが生まれました【画像③】。しかし玉野さんが2歳のとき、義郎さんは海軍兵として招集。サイパンやグアムなどの南洋群島に送られました。

【画像③】

(手紙)
「義文もたいへん大きくなったでしょう」

寄港先から届くはがきに綴られたのは家族を思う言葉ばかりでした。

(手紙【画像④】)
「あなた(千鶴子さん)と生活できたことがありがたい。感謝をする」
「しかしこれからが人世。世の荒波が控えている。義文と2人であらゆる苦難に打ち勝ってくれなくてはならぬ」

【画像④】