だれにも涙を見せなかった頑張りやの母が夜通し…
千鶴子さんは10年前101才で亡くなりました。
(松村みなみ記者)
「千鶴子さんは涙ひとつ見せなかった?」
(玉野義文さん)
「泣かんかったな。頑張りじゃろうなあ」
涙ひとつ見せず自分を育ててくれた母親、千鶴子さん。先月、千鶴子さんが暮らしていた家を訪れた玉野さんは、思いがけず母親の本当の気持ちを知ることになりました。
(松村みなみ記者)
「お母様の手紙?」
(玉野義文さん)
「自筆ですね。記録に留めとこうと思って書いたんじゃろうか」
千鶴子さんが生前に書き残した手記【画像⑬】です。夫と最後に会った日について記されていました。

(手紙を読む玉野さん)
「(故)主人が休暇で帰ってきました。なんともうれしいばかり」(本文まま)
「ところへ私の実家の父が危篤という電報を受け取り」
「子どもたち2人を連れて故主人に送ってもらい」
「それで永遠の別れとも知らず」

(玉野義文さん)「えらいことですわ」
誰も知らなかった千鶴子さんの思い…
(手紙【画像⑮】)
「電報で戦死の知らせ。覚悟はしていても夜通し泣いた事です」

戦後80年。それは遺された人々が懸命に生きた80年でもあります。
(玉野義文さん)
「親父から命をもらって、今自分があって、自分たちの子どもにもつながっていっている。それぞれ毎日を大事にしないといかんですなあ」
「自分があっちへ行ったときにもし会えたら聞いてみます…いろいろ」
