昭和100年にあたる今年、シリーズでお伝えしている「昭和からのメッセージ」です。太平洋戦争末期現在の南九州市知覧町から439人の若者が特攻隊として出撃しました。

青年たちをサクラの枝を持って見送ったり、身の回りの世話をしたのが「なでしこ隊」と呼ばれた地元の女学生でした。

(なでしこ隊だった 三宅トミさん・95)「死にに行くのと一緒。飛行機が飛び立つ時は」

北九州市在住の三宅トミさん(95)です。南九州市知覧町の出身で、知覧高等女学校に通っていた15歳の時、日本軍からの命令で三宅さんらおよそ100人の女学生が特攻隊員の身の回りの世話や見送りをしていました。

(なでしこ隊だった 三宅トミさん・95)
「寝具の整理とか、夕方になったら毛布を重ねて、すぐ寝られるようにしていた」

「出撃の前の日は(隊員と)ゆっくり遊べた。心をまぎらわすためだったのでは。家に帰ってから隊員の方を思い出したら、涙が出てたまらなくなって号泣したこともあった」