■「僕の腕の力がもっと強ければ…」

事故現場の坂道にいた20代男性
「人の波に巻き込まれて、あの坂まで進みました。数人の男性が僕を階段の上に引き上げて助け出してくれました。そのとき、僕の隣にいた女性は、すでに倒れていました。自分も他の人を助けたかったので、その場を離れることはできず、何とか救助活動に加わりました。僕の腕の力がもっと強かったら、もっと多くの人を、1人でも多くの人を、助けることができたのに。申し訳ない。本当に申し訳ない…」
男性は話の途中で大粒の涙を流しはじめた。自分の命が助かっても、苦しんでいた。
■「“死亡者”という言葉を見ると足が震えるのです」
今回の事故は、当日現場にいなかった人の心にも大きな傷を残した。
SNSや、韓国をはじめ各国のメディアで事故のニュース映像が流れ、多くの人がそれを目にした。この事故を、他人事ではなく「自分のこと」としてとらえた。深い悲しみや不安を抱え、精神的なサポートが必要な人も多くいる。
ソウル広場に設置された献花台のすぐ横には、メンタルヘルスの支援が受けられるブースがあった。

メンタルヘルスの支援を受けに来た女性(60代)
「用事があってここを通ったら、献花台に“死亡者”という文字があり、その文字を見たら足が震えるのです。なので、カウンセリングを受けることにしました」「私にも子どもがいて、よく梨泰院に食事に行きます。あの年頃の子どもを持つ親なら、誰もがショックを受けているはずです。この心の傷は、長く続きそうです」
ソウル市健康福祉センター長 イ・ヘウ医師
「現場にはいなかった一般市民からも、トラウマに関する相談が寄せられています。人が多く集まる場所に行くことが怖かったり、不安や息苦しさを感じたり、といった症状を訴える人が多いです。ほとんどは一時的な症状ではあるものの、人によっては長引くことがあります」
韓国メディアの多くは、事故から数日経過して以降、事故当時の群集の映像を極力放送しないようにしているほか、ある放送局は「梨泰院」という言葉を使わず「10月29日の惨事」という呼び方をしているという。
■【取材ディレクター後記】「自分だったかもしれない」国全体がトラウマを抱えていると感じた
news23取材ディレクター キム・ミンジョン
今回の事故は建物の中でも乗り物の中でもなく、歩道で起きた惨事だ。「私だったかもしれない」「私の友人だったかもしれない」「私の家族だったかもしれない」…誰にでも起こりえた、という思いで、韓国社会全体がトラウマ状態になっていると感じた。私自身もそうだ。
11月5日、土曜日。仕事が休みなので、ソウルの有名な観光地「景福宮」を歩いた。朝鮮時代の王が暮らしていた宮殿で、韓国の時代劇にもよく登場する場所だ。ここは韓国の伝統衣装を着て訪れると入場料が無料になる。伝統衣装に身を包んだ多くの観光客でにぎわっているなか、私の目をひく集団がいた。
様々な国の若い女性たちが、伝統衣装を着てとても楽しそうに写真を撮っている。一目で留学生たちだとわかった。彼女たちの楽しそうな声を聞きながら、私は冨川さんのことを思った。冨川さんも、ああいうふうに楽しく留学生活を送れたはずなのに…。
二度とこのような大惨事が起きないようにしなければならない。人々の心の傷は長く続くだろう。
news23取材ディレクター 柏木理沙
当日梨泰院にいたアメリカ人男性は「バーの中にいて異変に気づけなかったことを悔いている。外に出たら救急車だらけで信じられない光景を目の当たりにした」と語った。
献花しながら泣いていたオランダ人女性は、事故が起きる直前になんとか坂道から脱出したという。友人も無事だったが「亡くなった人たちに申し訳ない気持ちだ」と話した。
冨川さんと同じ語学学校に通うイギリス人女子学生は「冨川さんと3週間前に一度会ったことがある。私は当日の夕方には梨泰院から帰っていたが、心の傷が癒えるには時間がかかる」と目に涙を浮かべた。
事故を自分のこととして捉えているのは、韓国の人だけではない。警察当局の不手際が相次いで指摘され、韓国政府に対し怒りの声をあげる人もいる。
しかし、今回現場で話を聞いた遺族たちのほとんどが「誰がクビになろうが知らない。亡くなった大切な人は、もう二度と帰ってこない」と話した。
再発防止を徹底するのはもちろんだが、私たち一人ひとりがこの事故を忘れず、記憶にとどめることが必要だ。