前代未聞の大惨事となったソウル・梨泰院(イテウォン)の群集事故。158人の命が突然失われた。私たちは現場に向かい、遺族、当日現場にいた人・いなかった人、様々な年代や国籍の人たちに話を聞いた。「私が手を離さなければ」と泣き続ける女性。「歩いていただけでなぜ死ぬの!」と叫ぶ母親。大人が呆然とするなか懸命に救命措置をした高校生…。大切な人を突然失った悲しみ。生き残った苦しみ。「もしかしたら私だったかもしれない」というトラウマが今、韓国を包んでいる。私たちが現場で聞いた様々な”声”を伝えたい。

===
前編はこちら→「私が手を離さなければ…」158人死亡の群集事故、現場で聞いた「声」の数々
===

■「1人でも多くの命を助けたかった。将来は救急救命士の資格を取りたい」

事故当日、現場では多くの人が救命措置にあたった。そのなかの1人、17歳の男子高校生が、当時の状況を話してくれた。

多くの大人たちが立ち尽くす中、高校生は一心不乱に救命措置にあたった。

チェ・ミンギュさん(17歳・高2)
「当日、知人たちとコスプレして梨泰院に午後6時ごろ到着しました。事故現場からは少し離れた場所で、数時間通行人と写真を撮りながら過ごしていました。午後10時半ごろ、周りが騒がしくなって知人たちと駆け付けたら、2~30人が道路に横たわっていました。3分の2が意識不明だったので、とりあえず急いでCPR<心肺蘇生措置>を始めました」

「CPRは中学校や高校の実習で学んでいました。もともと医療に関心があり、自分でもっと勉強していました」

「とにかく助けたいという一心で、他に何も考える余裕はありませんでした。患者の殆どは20代くらいでした。交代しながら10人にCPRを施し、そのうち2人の意識が戻りました。その後、軽傷者の搬送も手伝いました」

「僕と知人が最初に運び出した人は、日本人でした。『ジャパニーズ?』と聞いたら『ジャパニーズ』と答えてくれて、意識はありました」

「人を運んで坂道を下ったとき、道をあけずに写真ばかり撮っている人もいました。『どいて!』と叫びながら無理やり押しのけて何とか搬送しました」

「亡くなるのは、自分だったかもしれない、自分の友達や家族だったかもしれない。一人でも多く助けられなかったのかと思うばかりです。将来、救急救命士の資格をとりたい。もっと専門知識を身につけて…あってはならないことですが、もし万が一、今後似たような状況に遭遇したら、自分の家族や周りの人を助けたい」

■「当時現場は”阿鼻叫喚”だった。100%予防できた事故だった」

医師免許を持ち、災害派遣医療チームでの勤務経験があるシン議員。事故の知らせを聞いて駆け付け、午前0時ごろに現場に到着した。

インタビューの冒頭、私たちが日本のメディアだと伝えると、日本人を含む外国人も犠牲になったことに対して本当に申し訳ない気持ちだと話し、涙を流した。

医師免許を持つシン・ヒョンヨン議員(41歳)
「現場で、多くの人があちらこちらでCPRを受ける姿を見て、私は医師であるにも関わらず、一瞬、マネキンなのかと思ってしまったほど、信じ難い光景でした。現場は混乱、阿鼻叫喚、そんな感じでした。多くの人でごった返して、現場に近づくのは困難でした。私は当日は、比較的軽傷の患者の病院搬送などを担いました」

「その後、1日には、国会議員として現場を視察しました。消防の説明では、坂の下の部分では8人が重なっていたそうです。中には踏まれて亡くなった方も、立ったまま圧死した方もいると聞きました。このような、人が圧死する状況では、呼吸困難で意識を失い脳の損傷などが起こるので、一刻も早く救助しなければならない。しかし、消防の説明では、坂の下のほうで圧迫された人を引き抜こうとしても抜けないので、群集をかきわけて後ろのほうから回って救助にあたったということです」

「当時の状況を把握すればするほど、現場を一方通行に交通規制さえしていれば、100%未然に予防できた事故だったと考えます。真相を究明しなければなりません」