日本被団協の顧問も務めた長崎原爆被災者協議会の小佐々八郎・元会長は三菱兵器大橋工場で被爆しました。(当時39歳)
本人は足に怪我を負い、妻と4人の子どもは昭和町で被爆。長男・昭彦さん(当時10歳)は原爆死、二女・久仁子さん(当時2歳)は大火傷を負いました。
小佐々・元会長は、戦後、長崎市議会議員を務めるかたわら、1956年の長崎被災協ならびに日本被団協の結成に尽力しました長期にわたって、長崎被災協の会長として、被爆2法の制定など被爆者運動の先頭に立ってきました。

小佐々八郎・元会長は1994年に88歳で死去。
被爆者の支援と核兵器廃絶のために尽力し続けた小佐々・元会長の活動は、現在に続く平和運動の重要な礎となっています。

*この動画は、NBCが1985年に行った長崎原爆被災者協議会のインタビュー映像を編集しています。