■“日本の頭脳”は何処へ
“またも日本人の快挙”。10月、今年のノーベル物理学賞に真鍋淑郎さん(90)が選ばれた直後、そう思った人も多かったかもしれない。だがこの表現が正確ではないことは今は知られている。愛媛県出身の真鍋さんが、気候変動に対する好奇心に突き動かされて日本を離れアメリカでの研究の道を選び、アメリカの国籍も取得した“日系アメリカ人”だということは連日報じられた。しばしば「頭脳流出」というキーワードとともに。
実は真鍋さんの受賞の1か月前、ノーベル化学賞候補に名前の挙がる日本人科学者の国外への移籍が発表され話題となっていた。「光触媒」研究の第一人者として知られる東京理科大学元学長の藤嶋昭さん(79)で、移籍先は中国の上海理工大学だ。「光触媒」とは光のエネルギーで化学反応を促進させるもので、環境浄化やウイルス除去にも活用可能な技術として注目されている。また上海にはノーベル賞が期待されるもう1人の日本人がいる。御子柴克彦さん(76)、上海科技大学免疫化学研究所の教授だ。脳神経科学者の御子柴さんはノーベル医学生理学賞候補と目されている。
■「研究を続けたい」選んだ答えは中国
中国を活動の場に選んだ2人は間違いなく日本が誇る頭脳だ。いや、この2人だけではないだろう。広く知られていないだけで、中国に渡って研究を進める有力な科学者たちは、ほかにも存在する。なぜ、日本の科学者は中国に渡るのか。2年前、深セン大学に拠点を移したコンクリート工学などの専門家、上田多門教授(67)に疑問をぶつけてみた。
北海道大学名誉教授でもある上田氏は、100年を超える歴史のある土木学会の次期会長にも内定している。日本の土木界のまさに重鎮だ。ただ、会長候補を選出する際の学会での議論では、中国に拠点を移した上田氏を選んでいいのかと危惧する声も一部で出たという。にもかかわらず次期会長候補に推されることになった理由は何か。本人はこう説明する。「土木学会としてはアジアの中でもリーダーになる大国、すなわち中国やインドとはより親密になる必要があるというのが基本的なスタンスだ」。
そもそも上田教授は、なぜ中国に拠点を移そうと決断したのか。返ってきたのは「北海道大学で65歳の定年が迫っていたことがきっかけ」というシンプルな答えだった。上田氏は、まだまだ研究を続けたいと思っていた。しかし日本には定年後も研究を続けられるような環境は無かった。その時、深セン大学からの誘いがあったので決めたというわけだ。タイの大学などからも声はかけられたものの、深セン大学は研究環境の良さで抜きんでていたことも大きかった。今、上田さんのもとには日本の大学では揃えられない規模の実験装置や、日本では購入できなかった高額な装置が並んでいる。周囲の研究者たちの質が高いことも大きな理由の一つとなったという。