犠牲になった姉は なぜ1,737人に含まれていないのか
岡山空襲による死者は少なくとも1,737人と公表されています。しかし、この数字に姉の昭子さんが含まれていないことに辻野さんは気づきました。
(辻野喬雄さん(92))
「姉は入っていなんですよ、この数字には。7月12日死亡、7月14日発送。ところが7月12日も7月14日も“その他”に無ければならないのに、“その他”はぜんぶ空欄なんですよ。だから姉の死はこれに入っていない」

注目したのは、「岡山市史戦災復興編」の死者数の一覧です。各警察署が報告した死者の数がまとめられていて、“岡山東署”、”岡山西署”、“その他”に分けられています。その合計が1,737。昭子さんが亡くなったのは現在の吉備中央町で、当時は金川警察署の管轄であったため、“その他”に該当します。しかし、亡くなった7月12日の“その他”は空欄【画像⑫】。このことから、昭子さんが死者1,737人に含まれていないことが確認できたといいます。

(辻野喬雄さん(92))
「はっきりした。1,737人は市内4か所の寺の死体収容所の数だけです」
姉のほかにも空襲の犠牲者として扱われていない人がいるのではないか。辻野さんは、死者の実数に関する調査を約20年にわたり続けました。その結果、1,737人から漏れているとみられる人が、ほかにも数人いることが判明。しかし、高齢になり、資料も少なく確認にも限界があると感じたため、2019年、調査に区切りを付けました。
(辻野喬雄さん(92))
「まあひとまず、ひとまずここまででしょうというところです」

史実に残る数がすべてではなく、姉のような空襲の犠牲者がいるという事実を残したい。その思いが、辻野さんの背中を押してきました。
(辻野喬雄さん(92))
「(多くの人が亡くなった事実を)自分の子どもや家族にきちんと伝えておきたいというのはある。姉が一番だけど、私で言えば。姉の死んだことはな…、それは家族に伝えておきたい」

岡山空襲から80年。被害の全容を明らかにするのは難しくなっていますが、多くの人が命を失い、今も深い爪痕を残す悲惨な歴史は、この先消えることはありません。