岡山空襲から、6月29日で80年。岡山の中心市街地には今も爪痕が残っています。空襲を体験し、姉を亡くしたことをきっかけに死者の実数を調査してきた岡山市の男性に今の思いを聞きました。
「焼夷弾が降ってきた」 80年前のあの日 12歳の少年が見たものは
(辻野喬雄さん(92))
「『起きなさい』と言われて、すぐに起きて着替えて裏から西の空を見たら、少しぼんやり西の空が明るかった。少ししたら真上で『どーん』といって、見たら花火がバッと開いた」
岡山市中区東山で空襲に遭った辻野喬雄さん【画像①】、92歳です。

当時12歳。両親から、子どもたちは先に逃げるよう言われ、4歳年上の姉・昭子さん【画像②】と近所の東山公園に逃げ込んだといいます。その直後、2人のすぐ近くに大型の焼夷弾が降ってきました。

(辻野喬雄さん(92))
「姉はこっち【画像③】に伏せていた。これはやられたと思って、目も開けたら危ないと思った」

1945年6月29日。真夜中の岡山の空に轟音が響き渡りました。アメリカ軍の爆撃機B-29です。機内には大量の焼夷弾が積まれていて、市街地めがけて次々に投下。辻野さんも激しい爆撃に見舞われました。
(辻野喬雄さん(92))
「右腕はやけどしとる。顔もやけどしとる。こちらも焼けとる。ここが一番ひどい。ここ【画像④】が一番軽い」
「『家に帰ろうや』と言って帰りかけて、そうしたら姉が『足が動かん』と言い出してね、足首が。くるぶしの辺りに小さい穴が見えるくらいで血が流れたりではない。だけど『歩けん、足が痛い』と言って」
「そういうこともあって家まで帰りました。家はもう焼けてました。私が見た限りでは、2階部分の真下に1メートルくらいのすり鉢状の穴があいていました」
