パリ五輪 スタートラインに立てなかった
しかし…
(前田穂南選手)
「練習はしっかりできていたんですけど、最後、足が痛くなってスタートラインに立つことができませんでした」

右大腿骨の疲労骨折で、本番直前に欠場。世界と戦うため、ギリギリまで自分を追い込んだ結果でした。その後は治療のため、5か月間走ることができませんでした。
(前田穂南選手)
「走る以前に、私生活でも足が痛かった。完全にしっかり治すために過ごしていました」
(松村みなみ記者)
「治療する間、これからまた走りたいという気持ちは?」
(前田穂南選手)
「あんまり覚えていないです」

周囲は「ロス五輪を期待する声」が...
今後のことも考えられませんでした。そんな中、周囲からは、4年後のロス五輪を期待する声が…。
(前田穂南選手)
「『そんな焦らずゆっくりでいいよ』と声をかけられました。あと4年だからって。『ええっ!?』って。『まだ先だからいきなり走らんでいいよ』みたいな感じ」

うれしさとともに、最初は戸惑いを感じたといいます。