1977年11月15日に、新潟市で横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから45年。


横田めぐみさんの母・横田早紀江さん(86歳)は、会見の場で高齢の体をおしながら娘のためにマイクを握り「こんなに寂しい国はない…」と、具体的な動きが見えない政府へのじれったさを訴えました。


【めぐみさんの母 横田早紀江さん】「表現のしようがないほどの“むなしさ”ですね。むなしいですね。非常にむなしい。『なんで生きているんだろう』ということまで考えるほど…。解決ができないまま、『結局何もわからないで終わってしまうのかな』とかね」


1977年11月15日当時、寄居中学校の1年生だった横田めぐみさんは、部活動を終えて自宅に帰る途中で忽然と姿を消しました。北朝鮮による拉致事件でした。


あの日から45年ー。
記憶の中のめぐみさんは、いつものように朝「行ってきます」と家を出た、13歳の姿のままです。


【めぐみさんの母 横田早紀江さん】「どんどん月日だけがたって…なんにも分からない。相変わらず声も聞こえない、どんなふうになっているかもわからない。どこにいるかもわからない。すぐ隣の国にいるのにね。なんでこんなに日本って動かないんだろうって」


会見の後で早紀江さんが見せてくれた一枚の絵。
めぐみさんが拉致されてまもなく描いた『新潟の港』です。


【めぐみさんの母 横田早紀江さん】「青い海っていうのは、おどろおどろしくて悲しいでしょ、いなくなったのを思い出して。それはもういやなのね。描きたくない」


夫・滋さんと一緒に娘を捜し歩いた新潟の海は、思い出すのもつらい場所です。



ともに闘った滋さんはおととし、87歳で亡くなりました。
“娘に会いたい”という、たったひとつの願いも叶わないまま…。



横田早紀江さんが求めるのは、政府の具体的な行動と“被害者の救出”という成果です。


【めぐみさんの母 横田早紀江さん】「ご自身のお子さんが拉致被害者と同じ立場だったら『やっぱり放っておけないな、なんとかしなきゃだめだ』って思ってくださる父親や母親のような方が、政治家の中にたくさんいてほしい。本当に『何をやっているんですか』って言いたいんですね」


「元気でいて、必ず助け出すからー」
母は娘の無事を祈り待ち続けています。