太平洋戦争末期、福岡市に置かれていた旧日本陸軍の西部軍では、墜落したB-29爆撃機などに搭乗していたアメリカ兵、およそ40人が処刑されました。
戦犯として裁かれた男性の遺族や処刑されたアメリカ兵の遺族らも参加して20日、慰霊法要が営まれました。
福岡大空襲で母を殺され・・・処刑に志願

20日、福岡市城南区の油山観音で行われた慰霊法要に参列した冬至克也さん(71)。

冬至さんの父・堅太郎さんは、80年前の6月20日、4人のアメリカ兵に刀を振り下ろしました。

1945年6月19日の福岡大空襲。

福岡市の中心部は焼け野原となり死者・行方不明者はあわせて1146人にのぼりました。

堅太郎さんの母、ウタさんもその1人です。

翌日、西部軍がB-29の搭乗員を処刑する現場に遭遇した堅太郎さんは、母を亡くした怒りにまかせて志願し、アメリカ兵4人の命を奪いました。