戦争体験者やその意思を継ぐ人の思いをシリーズでつなぐ「あなたの623」。今回はベトナム戦争への従軍取材などで知られる、那覇市出身の報道カメラマン石川文洋さんです。ファインダー越しに見てきた数々の戦場と重ね合わせたのは故郷・沖縄の姿でした。
▼報道カメラマン 石川文洋さん(87)
「諏訪湖が一望できる。青々とした葉が黄色くなって落ちて、また芽が出て、四季の変化がある。この自宅では下から2階に上がってくると、さぁ原稿書こうかなという気持ちになりますよね」
1938年、那覇市に生まれた石川文洋さん(87歳)。4歳の時に家族で千葉へと移住しました。30年ほど前から諏訪湖を臨む長野県の自宅で、妻と2人で暮らしています。
「沖縄戦を私は直接は知らないけど、沖縄がなければベトナム戦争はできなかったというくらい、沖縄が訓練や情報集め、補給とか全面的な後方基地になっていました。それを取材しようと思いました」
ベトナムで戦闘に巻き込まれる住民 重なる沖縄戦
石川さんは、1965年から約4年間、ベトナム戦争を最前線で従軍取材しました。
「ベトナム戦争では200万人もの住民が戦闘に巻き込まれて死んでいる、殺されているんです。沖縄戦でも10万人近くの民間人が死んでいますよね。戦争になれば民間人が犠牲になるということを、私は写真で撮った。いっぱい写真があります。それを沖縄戦に重ねたんですね」
1955年に始まったベトナム戦争。冷戦下、南北に分断されたベトナムで勃発し、共産主義拡大を恐れたアメリカが軍事介入。その後泥沼化し、1975年まで続きました。
忘れられない戦争を見る少女の瞳
「両足が無くなった子どもが母親の乳を吸っている、赤ちゃんですね。片腕がない、片足がない少女とか、そういう人がたくさんいたんです。144枚撮影したんです。私にとっては大きな事件だったけど、向こうは200万人の住民が戦争に巻き込まれて死んでいるわけです。そのうちの1つだったんです。『その記録は残っていない』と」
毎日目にする惨状のなか、忘れることのできない少女がいました。
「私がある村に入ったときにこの人は撃たれて、防空壕でうなっていたんです。そこで手りゅう弾を投げて殺して引きあげている。そういう様子を、この少女はじっと見ていたんです。近くで撮っていても私のことは分からなかった。自分も殺されると思っていたから、写真どころではありませんでした」