80年前の戦時中、出撃を間近にした特攻隊員と、「特攻の母」と呼ばれ慕われていた食堂経営者との交流を演じた1人芝居が、宮城県石巻市で行われました。81歳の女性が悲劇の実話を紹介しました。

芝居:
「このホタルは、宮間くんが言っていたようにホタルになって帰ってきたんだわ。みんな表に出ていらっしゃい」

宮城県石巻市で1人芝居を演じたのは、宮城県大崎市古川の鴇田明美さん(81)です。

戦時中、鹿児島県の知覧特攻基地近くで食堂を営んでいた鳥浜トメさんと、休日のたびにやって来て、交流を深めた特攻隊員たちを1人で演じわけました。

芝居:
「すると飛行機の爆音が。あの子が基地を飛び立っていく。私は、一生懸命祈り続けました」

零戦などで軍艦に体当たりする旧日本軍の特攻作戦。太平洋戦争末期に繰り返され、多くの若者が命を落としました。

トメさんは、「特攻の母」と呼ばれ、出撃間近の隊員たちに優しい言葉をかけながら励まし続けたといいます。

会場となった石巻市北村の私設平和資料館には、教員志望の大学生や地元の人たち約50人が集まり熱のこもった演技に見入っていました。

大学生:
「特攻に行く人の話を聞くことが多かったが、お母さんという立場から何年か後という視点から見ると、すごく新鮮だった」
地元の観客:
「戦争は知らない世代だが、涙が流れた。(トメさんは)本当に悲しかったんだろうなと思った。いい芝居を見せてもらった」

鴇田さん自身、戦争で叔父を亡くし、満州から戻った父が心を病んだ経験から、平和を呼び掛けて締めくくりました。

鴇田明美さん:
「亡くなった人もいる。その人たちの怒りと無念の礎の下に日本の平和があるということを決して忘れてはならない」

鴇田さんは、元中学校教諭で、定年退職後、福祉施設で慰問を続け、3年ほど前からこうした特攻の1人芝居を行っています。

鴇田さんは、過去に3回、鹿児島県の知覧にある特攻隊員の資料館を訪れているということです。
2025年4月に石巻市の私設資料館を訪れたことをきっかけに、今回の1人芝居が実現しました。
鴇田さんは、現在81歳ということですが、今後も芝居を通して、戦争の悲劇を伝えていくということです。