長嶋茂雄さんの野球人生における「もしも」が、福岡のプロ野球の景色を大きく変えていた―――。6月9日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが出演し、プロ野球の「もし」についてコメントしました。

アンチ巨人・阪急ファンが語る長嶋茂雄

私(飯田)自身はアンチ巨人、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)ファン。子どもの頃、パ・リーグでは敵なしだった阪急が、日本シリーズで常に巨人に阻まれてきた経験から、巨人、そして長嶋さんに対して特別な感情を抱いていました。

幻の南海ホークス入団と「ストーブ・リーグ」の真相

私が注目したのは、長嶋茂雄さんが巨人に入団する前の経緯です。1957年12月7日の朝日新聞夕刊に掲載された長嶋さんの入団契約記事には、「ストーブ・リーグではいろいろ心配をかけたが、巨人軍に正式入団できてうれしい」というコメントが残されています。

当時のプロ野球にはドラフト制度がなく、自由競争の時代でした。各球団が有力選手の獲得にしのぎを削る中、長嶋さんは立教大学の先輩である大沢啓二選手(当時南海)の熱心な勧誘もあり、一時は南海ホークスへの入団を決意し、球団にもその意志を伝えていたというのです。さらに、長嶋さんは大学の同僚でエースだった杉浦忠さんを「一緒に南海へ行こう」と誘っていたことも明かされました。

しかし、最終的に長嶋さんは翻意して巨人に入団。一方、長嶋さんに誘われた杉浦さんだけが南海に入団することになったのです。この「長嶋さんの身の振り方」は当時、世間を大いに賑わせました。