もし長嶋・杉浦が南海にいたら?福岡のプロ野球史の“if”

ここからが今回のテーマ「もしも」です。もし、長嶋さんと杉浦さんの2人が予定通り南海ホークスに入団していたら、プロ野球の歴史、特に福岡の野球の景色は大きく変わっていたかもしれません。

杉浦投手は入団4年間で116勝を挙げ、長嶋さんも1年目で新人王、ホームランと打点のタイトルを獲得するなど、投打のスターが南海に揃っていたら、球団経営は大きく好転し、その後の身売りもなかったかもしれないのです。

消えなかったかもしれない西鉄ライオンズ

さらに話は福岡へと及びます。もし長嶋さんが南海の一員として福岡に遠征に来ていたら、当時の西鉄ライオンズとの対戦で平和台球場は連日満員になり、西鉄が球団を身売りすることもなかったかもしれないと推測します。太平洋クラブやクラウンライターといったスポンサー企業もライオンズから撤退しなかった可能性も考えられます。

かつてはパ・リーグとセ・リーグの間で人気に大きな差があり、長嶋さんの現役時代にはパ・リーグの観客動員数がセ・リーグの半分以下という年もありました。長嶋さんが国民的スターでありながら巨人の選手であったことが、リーグ間の人気格差を広げた一因だったと分析します。