大分県では「希望大使」と呼ばれる人たちが自ら認知症を公表し、当事者の目線で支援活動に取り組んでいます。新たな大使に任命された男性が家族や仕事も失った絶望から希望を見出すまでの道のりを打ち明けてくれました。
■年収1千万円超、高級住宅街で生活も少しずつ異変…
大分県日田市でひとり暮らしをしている下田哲也さん57歳。3年前に若年性認知症と診断されました。
(下田哲也さん)「腰につけているキーホルダーは市役所が徘徊しそうな人に渡すもの。落としてもいいように鈴もつけています、元山岳部のクライマーなので」
大学時代に北アルプスで山岳救助隊に入隊していたという下田さん。就職後はマレーシア勤務を経て、現地で人材派遣会社を経営。当時の年収は日本円で換算すると1000万円を超えていたといいます。そして現地の女性と結婚。2人の息子をもうけ高級住宅街で暮らしていました。東京の上場企業からヘッドハンティングを受けるほど手腕を評価されていた下田さんでしたが、少しずつ異変を感じるようになりました。

(下田さん)「『下田さんちょっとおかしいのでは?また忘れてないか?』と言われるようになった」
下田さんは別の会社に転職した直後、初期のアルツハイマー病と診断され、職場を解雇。マレーシア人の妻と離婚し、2人の息子とも会えなくなりました。すべてを失い28年ぶりの帰国を決意したのです。
(下田さん)「絶望的な感じになるような希望がない状態になりましたけど、一旦底まで落ちてしまえばそのまま底を行くか上るかのどちらかだ」
