巨人OB生出演 “ミスター”の男っぽくて優しい人柄
井上貴博キャスター:
巨人時代に長嶋監督のもとで活躍されたお二人に、長嶋茂雄さんのお人柄について話を伺っていきたいと考えています。
村田真一さんは1981年にドラフト5位で巨人に入り、それから巨人一筋で“扇の要”である正捕手として活躍されました。2001年に行われた長嶋茂雄監督の勇退試合は、村田選手の引退試合でもありました。
やはりキャッチャーを務めていると、監督とのコミュニケーションは特に密にとると思います。さまざまな思い出があると思いますが、記憶に残っているエピソードを教えてください。
元読売ジャイアンツ 村田真一さん:
「ファンとメディアとしっかり付き合え」と、よく言われました。ファンの人を大事にしろ、メディアの人の取材に答えろと。そして、いつも監督は視聴率を気にしていました。
井上キャスター:
ちょうど93年にJリーグが開幕しました。そういうことも頭にあったのでしょうか。
元読売ジャイアンツ 村田さん:
僕には「村田、サッカーもいいけど、サッカーに負けちゃあかん」と言っていました。
あとは、97年の夏に私の父親が倒れ、余命1年と言われました。最後の阪神戦の前に「監督、すいません。うちの親父が病気になっちゃいました。親父が最後に監督と写真を撮りたいと言っているんですけど、だめですか?」って聞いたんです。
当然、監督は忙しいんですが、マネージャーに翌日のスケジュールを確認して、2本ぐらい入っていた取材を「そんなもん、ずらしてくれ!」と言って取材を飛ばしました。
それで父親が翌日、甲子園に来て10分くらいしたところで、監督に「取材もあると思うのに、ありがとうございます」とお礼を言ったら、「村田、決めるのは俺だ」と言って、20~30分ぐらい父親と喋り、写真も撮ってくれました。本当に喜んでいました。
翌年も「親父、大丈夫か?」と声をかけてくれて、一生の思い出です。そのとき父親が初めて「真一、ありがとう」と言ってくれました。
井上キャスター:
今のお話は選手と監督の域を超えた感じがします。
元読売ジャイアンツ 村田さん:
監督に父親の病気の話をしたとき、「村田、お前の親父は俺の家族と一緒だ、すぐ連れて来い」と言われましたね。
試合の3時間だけ厳しいですね。それ以外は本当に男っぽくて優しい方でした。














