読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄さんが亡くなりました。

1936年に現在の千葉県佐倉市に生まれた長嶋茂雄さん。
1958年に巨人に入団し新人王を獲得するとその後も数々の記録を残し日本の高度成長期の中、プロ野球ブームを巻き起こしました。

国民的人気を博し、愛媛県内にもファンの多かった長嶋さんの訃報を愛媛の人たちはどのように受け止めているのでしょう。

【元読売巨人軍・河原純一さん】

「1番最初にお会いした時、もうその瞬間が一番印象に残っています」

愛媛マンダリンパイレーツでもプレーし監督も務めた元巨人の河原純一さん。
NPB1年目の95年から2001年まで長嶋茂雄監督の元でプレーしました。

――長嶋監督の第1印象は

「僕はその当時、大学4年生で、長嶋茂雄さんが59歳から60歳なんですよ。後ろ姿の背中がものすごく大きな人だなってあ、これぐらい大きな人じゃないと、野球界で大活躍するっていうことはこれぐらい大きな人なんだという」

――故障した1年を除き、6年間共に過ごす中で感じたことは

「ああいう勝負の世界ですごくファンのことを常に、本当に表向きに言っているのではなくて、私たち選手にも、そういうことを話するんですよね『ファンとかお客さんを大切にする』って。もちろんそうなれたらすごく、プロ野球選として素晴らしいことなんだけど、とてもじゃないけどそんなふうになれる余裕なんかは僕にはなかったですよ、やっぱり。プレーで、そんだけ人を引き付けられる人っていやなかなかいないなって」

【商店街の人々】

「すごく歴史や思い出に残る数々の試合やプロ野球の楽しさを伝えていただいた方なので、すごく残念」

「やっぱり、引退の『ジャイアンツは永遠に不滅です』というのが、印象に残っている。まだここの中に」

「もちろん私の時代は長嶋さんが活躍したのを見てきたので、寂しい」

「残念ですね。もうまさにミスタープロ野球って感じですよね」

【筋金入りのファンが営む洋食店】

松山市中心部にある、ハンバーグが人気の洋食店。
マスターの小椋庄一さん(73)は、小学校のときから巨人ファンで、まさに筋金入りです。

店内を取り囲む写真パネルや選手のサインなど、貴重な巨人グッズの数々は肉を焼く煙でいぶされ年季を感じさせます。
長嶋さんのサインは、そんな店の中央に飾られていました。

洋食店「ボルガノ」マスター 小椋庄一さん
「(堀之内にあった)松山市営球場に(巨人が試合に)来た時のサイン。あの時王さんが場外ホームランを打ったがその時、料理店でもらった」

子どもの頃から一番のファンだった長嶋さんが旅立ちました。

小椋さん
「『ああ逝ったか』という感じ。親父とお袋も亡くなっていないが、それと同じくらい」

【数多くのグッズが飾られているホテル】

長嶋茂雄さんと愛媛との縁は、意外なところにもありました。

西予市三瓶町の「ホテルみかめ本館」のロビーには、長嶋さんが、松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞した際のサインのほか、ジャンパーや帽子など貴重なサイン入りグッズが数多く飾られています。

ホテルみかめ本館 朝井秀幸 社長
「(ホテルの)お客さんも釘付けですね。一度長嶋さんのジャンパーを着せてあげた方がいるんですけど、そりゃもう大感激でね」

朝井社長によると、これら数々の品は、長嶋さんのマネジャーと長年懇意にしている友人のコレクションの一部ということです。
また、ホテルの近所にこの春まであった宇和高校三瓶分校の野球部には、巨人から毎年、使用済みの練習球が贈られていたということです。

【石碑がある椿神社】

一方、椿神社として親しまれている伊豫豆比古命神社の境内にはこんな石碑が。

「今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな」

これは正岡子規が野球について詠んだ短歌ですが、その隣には「長嶋茂雄」の文字が。

椿神社によりますと、この石碑は句碑玉垣と呼ばれるもので、1999年に境内を整備をした際に、建てられました。

奉納について打診された長嶋さんは快諾。
神社側が、正岡子規の詠んだ野球に関する俳句や短歌をいくつか示した中から、長嶋さんが選んだものだということです。

――

「ミスタープロ野球」と国民に愛された長嶋さん。
1974年の現役引退後も巨人の監督として活躍し、終身名誉監督に就任後もオリンピックアジア予選で日本代表監督も務めました。

そして3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。
89歳でした。