家族らの懸命な支えにより“劇的な回復”
入院1か月となる2005年5月。山下さんに少し反応が…。
(スタッフ)「亮輔くん、タイガース勝ったらうれしい?」
(山下さん)「(うなずく)」
(スタッフ)「きょうは勝ちそう?甲子園行かなあかんしな」
(山下さん)「(うなずく)」
入院3か月目の2005年7月。「言葉が出た」と母親から連絡がありました。山下さんは劇的な回復を遂げていました。
(父・正実さん)「(事故のとき)感覚あったの、足?」
(山下亮輔さん)「体を抜くとき痛くて抜けなかった。最後は無理やり(抜いた)」
しかし、治療は一進一退。40度を超える熱が2か月にわたって続き、再び両足切断の可能性を告げられたことも。母親は1日も欠かさず泊まり込み、支え続けます。
(母・美佐江さん)「がんばれって言うのもつらいし、代わってあげたいけどそういうこともできないし」
何とか松葉杖で歩けるようになったとき、季節はもう冬になっていました。そして、入院10か月の2006年2月。ついに退院の日をむかえました。
(山下亮輔さん)「素直に生きていてよかったというのもあるけど、そんなに両手挙げて喜べることではないかな。友達もひとり亡くなっているし、申し訳ない気持ちもあるかな」















