「大の里」がふれた“相撲の神様”初代「大ノ里」の生きざま

初代・大ノ里の兄のひ孫 天内司さん(72)
「私にとっては身内ではないが、気持ちとしては身内のように感じている」
初代・大ノ里は名声をつかんだ一方で、力士の処遇改善などを求めて当時の相撲協会を脱退するなど“悲劇の大関”とも呼ばれました。

四股名の『縁』。2024年8月には当時、関脇だった大の里が青森県藤崎町にきて、天内さんと初めて面会。神社の境内に建てられた初代の石碑を訪れ、数奇な運命をたどった“相撲の神様”の生きざまに触れました。
初代・大ノ里の兄のひ孫 天内司さん(72)
「(大の里は)津軽弁で言えば『いいわげもの(=いい若い者)』。好感がもてる青年。ものすごく親しみやすく威張るわけでもない」

天内さんは当時プレゼントされた名前入りの「反物」や、その後も本人から送られてくる「番付表」を大切に保管しています。

