悲劇の大関

一方で大ノ里は「悲劇の大関」としても知られる。力士の処遇改善などを求めて1932年に起きた春秋園事件で当時の相撲協会を脱退、その後力士をやめ、1938年には45歳の若さで大連の地で亡くなった。

その存在の大きさは「大ノ里杯」と冠がついた少年相撲の大会が現在まで開催されていることや地元で人気の和菓子の名前にも採用されていることが物語っている。

銘菓「大の里」を販売 アントルメ佐藤菓子店 佐藤裕也代表
「初代の大ノ里が大関で活躍。その方の石碑の序幕に合わせて、2代目社長が開発したと聞いている。直接的には今の大の里とは別物だが、関連していることもあり、藤崎町でも後援会ができたり陰ながら応援している。うちのお菓子を食べて大の里人気の手助けになれば」