長崎からおよそ500キロ離れた鹿児島県奄美群島。ここで大島紬を織っていた女性たちです。14日、長崎市に奄美の中学生が修学旅行で訪れ、忘れ去られようとして いる島の歴史に触れました。

長崎を訪れたのは奄美市立赤木名中学校の2年生30人です。

「被爆者の話って聞いたことありますか?」「いやないです」

毎年、修学旅行で長崎を訪れていますが、奄美と原爆の関係を知る生徒はほとんどいないといいます。

被爆者・堀田武弘さん「大島で働いとった女の子たちがね、とにかく長崎に行けということでね、長崎で働けって」

奄美では戦時中、伝統の織物「大島紬」がぜいたく品とされ、生産が制限されました。

そして織り子だった女性たちは長崎の軍需工場に送られました。

爆心地から1.3キロの工場で被爆した笠利イモコさんの証言です。

(爆心地から1.3キロの大橋工場で被爆した笠利イモコさんの1994年時の証言)
「♪~10日もたてば帰りたいー泣いて暮らした晩もある」
「ここもやられてるし…どんどん血が流れて…。同じ鹿児島までその子帰ってきてからすぐ亡くなったあちこちに黒い斑点ができて」

奄美から長崎へ動員された人はおよそ1200人いてうち200人が爆死したとされています。

被爆者・堀田武弘さん「80年もたったら忘れ去られようとしてるから、調査してまとめられたらいかがでしょうかっていうことをねおじちゃんはお願いしたいんですよ」

生徒「知りませんでした」

生徒「ひいおばあちゃんが被爆したって言うのをお母さんから聞いてたので。でも千人以上って言うのは初めて知った」

生徒「こういうことがあったんだよって教えていきたいです」

奄美市在住の被爆者は昨年度末時点で19人、10年前から111人減っています。