先祖の名が記された家系図を見つめる、県系3世のウラサキ・マリアナさん。

県系3世ウラサキ・マリアナさん
「沖縄の子孫であることだけでなく浦崎家の子孫であることを誇りに思う」
(I am not grateful only to be a Okinawan descendant, but a Urasaki descendant.)
初めて訪れた沖縄でまだ知らない自分のルーツを追い求める彼女を追いました。
戦後多くのウチナーンチュが海を渡り移り住んだブラジル。県系人のネットワークは2世や3世へと拡がり、現在海外で生活する県系人が最も多い国となっています。
そのブラジルで生まれ育った、マリアナさんはJICAのプログラムで初めて沖縄を訪れています。

マリアナさんの祖父、浦崎直秀さんは1957年、琉球政府が実施したボリビアへの計画移民として一家で海を渡りました。その後沖縄からの移民が多かったブラジルに移り住みこども5人をもうけるも、言葉の壁などから収入が安定せず、厳しい暮らしは続きました。
県系3世ウラサキ・マリアナさん
「私の祖父母は境遇を嘆いたことはなかった。多くの困難や問題、貧しさを経験したがその話を私にすることもなかった。口にしたのは一緒にいられること、今と楽しむこと、そして生きられることへの感謝だけだった」
(My grandparents never complaint about life. And they face so many difficulties, so many problems, poverty, and they never told me about it. They only said about being together, and to celebrate the moment, and how grateful they are because they are alive.)
琉球舞踊などの芝居を愛した直秀さんは1962年ブラジルに渡った県系人を集め芝居グループを結成。直秀さんたちの活動は、沖縄の芝居に飢えた1世たちの心の支えとなりました。