「仙酔島の高射砲 日本軍がアメリカ軍機の飛行ルートを知っていたため」福山市人権平和資料館の副館長

福山市人権平和資料館の寺地靖仁副館長は、日本軍がアメリカ軍機の飛行ルートを知っていたため、仙酔島に高射砲を構えたと指摘します。

爆撃機の飛行ルートを示したアメリカ側の資料によると、テニアン基地からまっすぐ、日本に向かっています。福山空襲のほか、東京大空襲でも爆撃機がここから飛び立っています。

福山市人権平和資料館 寺地靖仁副館長
「直線コースで行くと、(仙酔島近くを通る)航路になるのは日本軍も分かっていたということで、あらかじめ防衛ラインとして、仙酔島を基地にしたということになる」

仙酔島の高射砲は、1945年8月8日の福山空襲で、B29の迎撃に使われたという手記も残っています。しかし効果はなく、市街地の8割が焼失しました。

福山市立大学 澤田結基教授
「戦時中、展望に非常に良い場所というのが、高射砲陣地というかたちで使われていた。まったく場所の性質も使われ方も変えてしまったということがわかる、生き証人であるかな」