『高射砲四門をつくった』旧陸軍の船舶部隊に所属していた男性の手記によると…

旧陸軍の船舶部隊に所属し、仙酔島で高射砲陣地の設置に関わったという、男性の手記が残されていました。

男性の手記より
『鞆の仙酔島に高射砲陣地をつくり、瀬戸内海で鞆港に避難してくる船舶の援護をすることになった。ダイナマイトを使って岩をくだいて壕を掘り、高射砲四門をつくった』

この手記から、1944年11月から翌年7月にわたって、高射砲陣地が設営されたと推測できるといいます。また「高射砲が4門あった」とする内容が、くぼ地の数と一致していました。

さらに、一段高い位置にある石積みのくぼ地を起点に、4つのくぼ地と扇形になることもわかりました。扇形の構造は、高射砲陣地の整備条件をまとめた資料に記されています。

福山市立大学 澤田結基教授
「(石積みのくぼ地は)指揮系統、ないしは飛行機の高さや速度を測る機械の据え付けなどの設置が行われた場所だと考えています」

整備した理由について、手記では、鞆港へ避難してくる船舶の擁護だったとしています。

福山市立大学 澤田結基教授
「手記の内容を信じると、この砲台は、福山方面に飛来する飛行機の経路というよりは、鞆港方面にやってくる飛行機に対して、狙いを定めやすい角度に設置されています」