NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第4回は、国道沿いのビルの合間にひっそりと佇む銘板が伝える「赤レンガ塀」の記憶。刻まれた熱線の痕跡が、80年前の惨状を静かに伝えています。

爆心地から北におよそ1.5キロ。
その銘板は、国道沿いに連なるビルの合間に設置されています。
長崎市家野町。80年前、この場所にあった杉本巌さんの家を囲んでいた赤いレンガ塀が、銘板とともにいまも一部残されています。

塀の内側に住む杉本巌さんは、原爆が落ちた時、爆心地から約3.6キロ離れている梅ヶ崎町(いまの新地町)の長崎郵便局内にいて無傷。夕方自宅にたどり着くと、木造2階建ての家屋は焼け落ちていました。家族は近くの防空壕に避難していて無事でした。
同じ町内で被爆した杉本亀吉さんは、当時のまちの状況をこう証言しています。

杉本亀吉さん:
「防空壕までに行く途中はケガ人と死人でもう道も畑もいっぱいなんですね…。住吉もやはり家は倒れ、火事の起こっとる所もあちこちにあってですね」(1965年取材)
周りの建物が倒壊したり焼け落ちたりする中、かろうじてその姿を留めたレンガ塀には、熱線で焦げた跡が刻まれています。

被爆前の面影を残す数少ない場所として、人探しや家屋の確認のための目印になりました。1945年8月9日にここで何が起きたのか、物言わぬレンガ塀と銘板がその一端を今に伝えています。