NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第3回は、長崎市の純心高校に残された銘板に刻まれた記憶をたどります。制服すら支給されぬまま、私服で命を奪われた10代の少女たち。校舎は一瞬で倒壊し、多くの教え子を失った初代校長の証言、そして今、同じ学び舎に通う高校生たちがつなぐ“平和の紙芝居”とは――。

爆心地から北東におよそ1.5キロ。
現在の純心女子高校には、80年前純心高等女学校がありました。

当時の生徒や職員に何が起きたのかを伝える銘板は、正門のそばに設置されています。

約1万坪の敷地に、本館校舎、寄宿舎、幼稚園など数棟がありましたが、原爆の炸裂ち同時にすべて一瞬にして倒壊、一部を残して全焼しました。

学徒動員先などを含めた犠牲者は214人にのぼりました。
初代校長の江角ヤスさんは校舎の中で被爆しました。

江角ヤスさん:
「校舎と校舎の間に大きな防火壁がございまして、その防火壁の下になってるということが分かりまして…。5、6人の人がやってきて、体がちぎれるかもしれないって言いながら引っ張り出してくださった」

自身は一命を取り留めたものの、多くの教え子を失いました。
江角ヤスさん:
「自分の生徒や親しい方々がこんな苦しんで亡くなったってことはどこまでも本当に悲しい嫌なことでございますね」

あの日の記憶は世代を超えて受け継がれています。

シスター:
「13歳、14歳、15歳という年齢の子どもたちがね…学徒隊の洋服ももらわないで、私服のまま死んでいった」

被爆80年の今年、生徒たちは原爆の悲惨さや平和の尊さを伝える紙芝居を作りました。

生徒:
「私たちと同じ年代の子たちの様子を知ることができて、すごく貴重だったし、人の命が左右されるとか人の人生が左右されることがないのが平和の尊さというか」

原爆によって一瞬にして将来を絶たれた生徒や職員たちがいたこと。銘板に刻まれた忘れてはならない記憶です。