長野県松本市の桜の名所=弘法山は、40年余り前、市民の手によって1本1本植えられ、ここにしかない絶景を作り出しています。

街の中に浮かび上がる、薄紅色の丘。松本市並柳の弘法山です。山頂部分にあるのは、3世紀末ごろ築かれた全長66メートルの前方後方墳。

その古墳を囲むように、ソメイヨシノやオオヤマザクラなど、およそ3000本が咲き誇ります。

標高およそ650メートル。市街地より少し遅れて咲き始め、先週末から今週にかけ一気に見頃を迎えました。

山梨県から:「素晴らしい!前の道路通ってこちら見てすごい!と思って来たの」千葉県から:「(市内北部の)城山から山がこう大きな桜が咲いているように(見えた)。圧巻ですね、こんなの初めてですよ」

松本の春を彩る、桜の名所。
しかし、40年余り前までは今とは全く違う光景が広がっていたといいます。

二木昇さん:
「こんなに綺麗に咲いてるとは、夢にも思わなかったよね」

市内に住む、二木昇さん88歳。かつての弘法山のことを、教えてくれました。

二木昇さん:
「それはもう何もない、アカシアのうっそうとした茂みだけで」

今から半世紀前の1974年に古墳が発見され、国の史跡に指定された弘法山。
当時は外来種のニセアカシアに覆われ、人もあまり近づかなかったといいます。

二木昇さん:
「当時の会長が私に相談をかけまして、桜に変えようじゃないかっていう、提案がありましてですね」

二木さんが幹事を務めていた「松本アルプスライオンズクラブ」が中心となり、市民に親しまれる桜の山にするプロジェクトが走り出しました。


二木昇さん:
「この許可を取るためにですね。市の関係者にお願いしまして」

文化庁からなんとか許可がおり、まずは3年をかけてニセアカシアの伐採と整地が行われました。そして…。

二木昇さん:
「昭和59年の、5月の13日の日でありました。その日はね、大変晴天で」

1984年5月。構想から3年を経て、ついに桜の植樹が行われました。

ライオンズクラブのメンバーだけでなく、地域の子どもたちや市民など250人余りが参加。まっさらになった広い斜面に、およそ1000本の苗木を植えていきました。

二木昇さん:
「山には水がないっていうことで、大変な苦労がありました。消防ポンプを持ち込んで途中まで(水が)来たんですけど、なんせ高低差があるもんですから全部山のてっぺんまでは水がかけられない。あとはみんなで手分けしてバケツで運んだ。どうなるもんか、半分ぐらい(花が)つくかなというような気持ちでいたんですがね」

その後も数年かけて木を植え続け、花が咲くようになったのは最初の植樹からおよそ10年後。山頂の古墳部分を除き、山全体が桜で覆われました。

二木昇さん:
「桜くん、よく咲いてくれたなと、こういう気持ちですよね。大変な仕事であったが労が報われて、皆さんに楽しんでもらうということは、私自身振り返りまして良い仕事をしたなと」