運ばれた負傷者は1万人 しかし次々と息絶えて

戦前から似島で暮らす、中見初子さん(87)も、島から見た真っ赤に燃える広島の様子を覚えています。そして、やけどした人たちが、次々と島に運ばれてきたといいます。

負傷者が向かった先が、検疫所でした。医療器具があった検疫所は、臨時の野戦病院となりました。

早見初子さん
「検疫所にあった倉庫のようなところに、いっぱい運ばれて来ていた。一目だけ見た。その後は、怖くて中に入れなかった」

傷ついた人たちが途切れることなく押し寄せてくる。まだ、幼かった中見さんは、怖くて検疫所には近づけませんでした。

似島に運ばれた負傷者は1万人ともいわれています。次々に息絶えていく人たち。数えきれない遺体は島の防空壕や空き地に穴を掘って、葬られました。

中見初子さん
「いまの中学の運動場の山手のほうに、骨をみんな埋めていた。私が中学生のとき、授業で畑を作ると、骨がいっぱい出てきた」

見つけた遺骨は「千人塚」に埋めに行っていたといいます。