今なお戦い続けるプロボクサーの母と共に「世界」を目指したい

息子の蒼井玲選手は、18歳で親元を離れ、漁師の見習いになるなど、ボクシングとは無縁の生活を送っていましたが、母・葉月選手の背中を追い、去年9月にプロテストを受験。見事一発合格し、第2の人生を歩み始めました。

合格発表2人「やった~」
関係者「しっかり走りこまんとな、プロは甘くないぞ」
息子・蒼井玲「はい!頑張ります!」
当時は母と息子で鼻血が出るほど本気のスパーリング

※2015年4月/福岡市
母・葉月「起きて走るよ」
息子「(起きてカメラに)ビックリした」

2015年、葉月さん親子の一日は、夜も明けぬ早朝のランニングからスタートしていました。

母・葉月さな「究極の親子ゲンカ」
当時通っていたジムでのスパーリングも母と息子でガチンコの殴り合いです。スパーリングの後には、鼻血をふき取る息子、ガードしていた腕を痛がる母の姿がありました。

母・葉月さな「もう青タンになりよるもん、めちゃパンチ強くなった」

「生きる意味を体を張って証明したい」と、30歳目前にして本気で世界を目指し始めた母。その背中を追いかける息子との二人三脚の日々が続きました。

しかし、息子・蒼井選手も10代中ごろになると反抗期に。次第に母親から距離をとるようになり、一度はボクシングからも離れました。

息子・蒼井玲「当時、母親とも疎遠で自分一人でプランプランしていました。若さ特有の焦りもあって、なんかしなきゃと」

母・葉月さな「『人生変えたい』って思ってるんだったら、玲志にとって必ず生きたものになると思ったので、誘って見たんですけど…まさか「やる」と言うと思ってなかったです、誘いつつも」
2人を再び、引き寄せたのは、やはり「ボクシング」でした。

息子・蒼井玲「一番は母親に対してのなんか『親孝行』じゃないけど…何か返したいなと、何か返せる舞台が一番はボクシングかなと思ったので」
母への思いは、リングネームにも現れています。本名は「脇山玲志」、「蒼井(あおい)玲」はリングネームです。

母・葉月さな「「なんか純粋に嬉しかったです。『あおい』っていうのが、なんか息子が生まれたらこういう名前にしたいなって思っていた『もう一つの名前』だったんで、それを覚えていてくれて」
息子・蒼井玲「ボクシングをもう一度始めるときに、何て言うんすかね…新しい人生じゃないですけどそういう気持ちで始めたんで」














