展示のメッセージの立て方

さて、この調査結果をどのように解釈することができるだろうか。ここでは展示におけるメッセージの立て方に絞って考えてみたい。

滋賀県立琵琶湖博物館にかつて勤務していた布谷知夫(2003)は、この館での経験から、展示でメッセージを明確にすることは何より大切であるが、しかし問題はそのメッセージの立て方である。展示は「真実」を伝える場であるという考え方が支配的であった時代もあったが、情報がこれだけ過多の時代では提供できる程度の情報は、すでに大部分の来館者は知っている。そのため、メッセージは特定の情報や知識を伝えることではなく、ある課題についてミュージアムと来館者とが一緒に考えるということに置くことができるのではないか、と主張する。

では、先に紹介したインタビュー内容はどうだろうか。展覧会ではまず作品に向き合ってじっくり鑑賞してほしいという学芸員の思いとは別に、例にあげた来館者は、作品横の解説パネルをじっくり読む。それだけでは満たされない気持ちから、展示室内の壁に数多く貼られた作家に関する日経新聞の連載記事を読みあさり、作家の半生を描いた映像に見入っていた。

ある意味、作家の作品は思考をする上での風景のようだ。そして、自らの過去の経験に作家のあらたなエピソードを重ね合わせて、経験を再構成し、意味のある物語に更新している。つまり「ナラティブ」を創り出している。図らずも、布谷がいうところのミュージアムと来館者とが一緒に考える場が、ここでは提供されていたのではないか。

こう考えていくと、メッセージは受け取る側次第、受け手側の問題という面もあることがわかる。この場合、来館者が展覧会内の情報を、自分自身の文脈でリメイクできる余白があることが大切だろう。時には提供される情報に「計画された偶発性」が仕掛けられていると、もっと面白くなるかもしれない。

ICOMによるミュージアムの新定義

ミュージアムの国際的な非政府組織であるICOMは、数年間の激論の末、次のように定義を改正した。

「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに、博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する」。

これまでの定義は第1文のように、ミュージアムが持つ機能を中心に書いていた。しかし、新定義ではさらに第2、3文が追記され、ミュージアムが包摂的な場であり、社会の多様性と持続可能性を促進すること。学芸員などの専門職を中心に形成されたコミュニティが存在していて、地域に根ざした学ぶための機関であることが謳われている。

社会的インフラとしてのミュージアム

「おうちミュージアム」における企画・実施プロセスを踏襲すると、社会的課題を解決しながら、包摂的で多様性を受け入れる場としてミュージアムの必要性が、社会に定着するかもしれない。

広島県立美術館の調査結果をヒントにして、コミュニティの参画を得ながら学芸員が新たな展覧会の創り方を検討したならば、市民がミュージアムの楽しみ方を共に考える、敷居の高くない持続可能なミュージアムが誕生するかもしれない。新定義の方向性とミュージアムの現場でここ数年に起こっていることは、かなりリンクしていると捉える。

一方で、1999(平成11)年以降の市町村大合併では、元の市町村にあった1つ1つのミュージアムを、新しい市がどう扱うべきかという大きな課題が存在している。新たな自治体の歴史をどう編み直し、膨大な所蔵資料をどのように保存・活用するのかという問題が残されている。

ここで紹介した2つの新しい動きと、まだ解決の道筋が見えないこの課題は今後うまく融合していくような予感がしている。ミュージアムが社会的インフラとして脱皮する可能性は大いにあると考える。

<執筆者略歴>
佐々木 亨(ささき・とおる)
札幌北高校卒、北海道大学文学部卒。
旅行代理店勤務後、北大文学研究科修士課程入学。87年民間シンクタンク、89年北海道教育委員会(学芸員)、97年東北大学東北アジア研究センター勤務。2000年北大文学研究科。
2025年北海道大学名誉教授、合同会社「エ・バリュー」共同代表。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版Webマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。