戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。戦時中、日本の植民地だった台湾。そこに暮らす先住民たちが、南方の激戦地で日本軍として戦ったことはあまり語られていません。彼らが経験した戦いとは。
台湾の山地には先住民族が暮らす集落があります。いのしし料理をふるまってくれた、セデック族の施春明さん(77)。代々、狩りをして暮らしてきました。
施春明さん
「この刀はすごいよ」
伝統的な刀。同じ種類の刀が、80年前には戦地で使われていました。
毎日新聞に残る写真。高砂族と呼ばれた先住民は南方の激戦地に送られ、日本軍として戦いました。
当時台湾は日本の植民地で、高砂族も日本語を学び、日本人と同化するよう徹底的に教育されました。
台湾北部・烏来に住む林義賢さん(71)。父親の源治(タナ・タイモ/武田源治)さんも日本軍に志願しました。
林義賢さん
「当時『男は戦争に行って、国に尽くすべきだ』と考えられていました。山では仕事が無く、良い報酬をもらうためにも戦争に行きたかったんです」
これは別の先住民の男性の手記。
「日本人一等、台湾人二等、高砂族三等国民だと、きわめて不平等であった」
「日本兵になれば差別から抜け出せる」。そんな思いからの志願もあったといいます。
食糧不足で餓死する兵士も相次いだ南方の激戦地。台湾の先住民は、森で食糧を得る術に長けていたため大勢の日本兵が救われました。
林義賢さん
「敵2人を刺し殺したことも、手榴弾を投げて人の肉が飛んできたこともあったそうです。(父は)亡くなる前に病院で『アメリカ兵に銃で殺される』と訴えた」
源治さんは生還しましたが、恐ろしい記憶に苦しみ続けました。
そして日本は戦争に負け、台湾から撤退。「高砂族」はもう日本人ではないとして、戦後の対応をめぐり、日本の軍人との間に大きな差が生まれました。
源治さんは生前、こう話していました。
林源治(日本名:武田源治)さん(1990年放送)
「もっと日本のために尽くそうと思ったけど、何分学問も乏しいし、ロボット同様だから、何の働きもできず帰って日本の迷惑をかけたような気持ちで、残念に思っております」
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