「捨てたのではない、追い出されてしまった」法廷で語ったふるさと
そして、二審で12回目となる裁判が始まりました。法廷で、専次郎さんは、次のように語りました。
「私たちはふるさとを捨てたのではありません。原発事故のために追い出されてしまったのです」
そして、おととし、震災後初めて津島で踊りを披露したときの心境をこう語りました。
「たくさんの津島の人たちが、田植踊りを見て、喜んでいるのを見て、私は本当にやってきてよかったなと思いました。少し、津島の人たちとの絆が戻ったと思える瞬間でした。自分が保存会の会長であるうちは、自分の代では絶対に田植踊りを終わらせないという強い気持ちを持っています」

裁判が終わった後の集会。裁判の感想を求められた南津島出身の学生、今野実永さんが、壇上に立ちました。
今野実永さん「震災後、周囲からも孤立していたんですけど、専次郎さんが田植
踊りをきっかけに、わずかながら、お世話になっていた人たちが唯一集まれる場所が、保存会の練習会場だったんですよ。私は8年しかあそこにいませんでしたけど、親はもっと30年、70年ずっと暮らしてきてて、私よりもっとつらかったはずなのにあたり散らしちゃっていたんですよ。でも、そんなときに専次郎さんが、もう一度踊ってくれないかと声をかけてくれて、そこからもう一度、家族とここから頑張っていこうって。私たち家族を再びつなげてくれたのも保存会であり、そのきっかけをくれたのが専次郎さんでした」

「自分を育ててくれた地域の人たちに、恩返しをしたかった」。実永さんは、大学で継承活動を始めた理由をそう語りました。
当初は、保存会側に、県外の学生が継承することへの複雑な思いもあったといい、
道のりは平たんではありませんでした。保存会との話し合いを重ねる中で、専次郎さんをはじめとするメンバーが、こう呼びかけたと言います。
今野実永さん「『俺たちの芸能のためにこれだけのことをしようとしているのを、小さい頃から見ている俺たち大人が、それをつぶしていいのか』というふうに、反対する方々に問いかけてくださいまして、私にとって専次郎さんは自分と津島をつなげてくれる場所に招き入れてくれた恩人というか、父親には申し訳ないですけど、自分のお父さんのように温かい人で…」
震災と原発事故から14年。法廷での戦いは、いまも続いています。住民のふるさとへの思いは、変わることなく、次の世代にも引き継がれています。